筑前国(ちくぜんのくに)の小京都(しょうきょうと)―そう称えられもする処は日々に数多の観光の者たちの足どりをたたえる甘木(あまぎ)の地の秋月(あきづき)。古処(こしょ)という名の山地を見据えるこの地に聳える高峰―馬見山(うまみ-)は、かかる山地のうちでも最高峰の山にして、連なる山地を隔てて北に広がる筑豊(ちくほう)を―その平野を貫流する大河の源を内に秘めている。 いずれは北九州(きたきゅうしゅう)へと入り、やがては響灘(ひびき-)へと注ぎゆくその大河の名は遠賀川(おんが-)。福岡(ふくおか-)のいわば奥地―ここ筑豊という地のひとつの象徴でもあるその流れがその源から幾らかの峰を越え、そしてここ筑豊に随一の都市でもある飯塚市(いいづか-)に差し掛かるとき、西より来たる内住川(ないじゅう-)という河川が流れ込む。 大師溜池―このささやかな溜まりは、内住川の流れを受け入れわずかに東のほうへと湾曲を始める遠賀川のほとり―東のほとりに広がる鯰田(なまずた)という名の区域のむこう―かつては頴田(かいた)と呼ばれた地域の西佐与(にしさよ)という人里の一角にあって、車のゆき交う細かな道路の小脇にその水を湛えている。 かの大運河の支流―庄内川(しょうない-)のせせらぎを東方に見据え、工場を主とする種々の工業施設の林立の様を見る田舎町。そうしたところのさなかに佇む寂れた人里―『西佐与の獅子舞(-ししまい)』と呼ばれる古くからの民俗芸能を伝えもする小さな集落地の外れに、ただ静かな灌漑(かんがい)の施設と生い茂る草木のゆらぎを映して穏やかに揺れる水面(みなも)。 ほとりに散らばる数多の魚釣りの小物―特に無造作に捨てられた疑似餌(ぎじえ)―ルアーの箱は、池がある種の淡水魚の―おそらくはブラックバスの釣り場として知られているのであろうことを、寄り見た旅人の胸に想起させた。 わずかに北には二宮神社という名の宮が鎮座し、近くに泉福寺と号する寺が、その伽藍からわずかに西のところに位置する小峰のなかには、おそらくはこの池の名前の由来であろう、修行大師という名の堂―あるいは寺がある。 炎天のもとで蝉(せみ)の鳴き声けたたましく止むことなき時節に、水面は人の声を返すこともなくただ静かに佇んでいた。そうして在り続けようは今日も―明日も―多くの闇を秘めもする地の空を映し返しつつ。
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