地は九州北方、福岡県の福岡市域の一角。市域の北に広がる海原博多湾は歴史ある内海の海である。市の街区のひとつである東区(ひがしく)の西の沿海部から細長くせり出した岬を経て先へ長い道のりをゆくとやがては志賀島(しかのしま)へと辿り着く。島の入口の区域にあたる、島の中心部ともいえる場所が志賀海神社の鎮座で知られる志賀島(しかしま)地区。そこから、島の動脈ともいえる、島の外枠を走る道を西側から奥部に走ると、弘(ひろ)との名を持つ、漁村の色濃い区域に入る。弘から更に北へ進むと、最奥部ともいえる島の北端に港なき集落が現れる。それが勝馬(かつま)である。 この勝馬地区に唯一の小学校がこの福岡市立勝馬小学校。今に20数名の児童を抱えるこの海辺の小さな小学校は、明治九年(西暦1876年)、勝馬集落の奥部にある寺院たる西福寺の一部を借り受けてその歴史が始まった。その後、移設、勝馬尋常小学校、勝馬国民学校、志賀町立勝馬小学校との変遷を経て、現在の勝馬小学校に至っている。プールなどの落成は平成の代に入ってからのことである。 集落を抜けて南へ走ればそう遠からぬ場所に下馬ヶ浜。西暦2006年7月の末の晴れ渡る夏空の日光のもとで、島の外れの小学校は雑木のうちにまた止まぬセミの鳴声のうちに静かに一角にたたずんでいた。 |