市の説明によれば、―5世紀初頭頃の福岡平野の首長の墓と推定される前方後円墳で、丘陵上にあって前方部を南に向けて、全長76m、前方部幅30m、後円部径45mの規模を持つ。後円部に3基、前方部に1基の竪穴系横口式石室(初期の横穴式石室)があり、多くの副葬遺物が出土している。副葬遺物は三角縁神獣鏡を含む10面の鏡の他、装身具、武器、武具、馬具、工具類など数多く、人骨も残っていた。墳丘には家形埴輪、円筒埴輪、壺形埴輪などが巡っている... 九州北部、福岡県の福岡市域の南方、老司古墳は同市南区老司(ろうじ)の4丁目に眠っている。わずか近場にて同県筑紫郡那珂川町の北端と隣接する老司集落の奥部といえる地点である。ところが、これが福岡少年院の敷地内にあるため、金網を通して眺めることしかできない状況に置かれており、雑木の奥に眠る墳墓の全貌については想像に任せるほかないのであった。
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