地は九州北部、福岡県(ふくおか-)の中央部に位置する糟屋郡(かすや-)域の篠栗町(ささぐり-)。 この地の随所に散在するその数88か所の霊場は、主に弘法大師(こうぼうだいし)すなわち太古の高僧空海(くうかい)を拝するものとして、総称にて篠栗四国八十八箇所と呼ばれている。その歴史は天保(てんぽう)の代(西暦1830-1843年)、慈忍という僧がこの地を訪れた天保6年(1835年)に始まる。 慈忍は四国八十八箇所を巡拝したその帰りに篠栗村に立ち寄った尼僧であった。四国八十八箇所の開祖たる弘法大師も訪れたと伝わるこの村の者達の困窮を垣間見た慈忍は、その救済を目論みこの地にとどまり弘法大師の名において祈願を続け、やがて村に安寧をもたらしたものと伝わる。そしてこのことを弘法大師の利益(りやく)であるとした慈忍は、村の者達に四国のそれを模した88か所の霊場の造成を提案。呼応した村人達の手によって徐々に石仏がつくられはじめ、慈忍が没したのちにおいて、その志を継ぐ村の篤志家達の尽力によって88に達する霊場群が完成、それが今にある篠栗霊場の起源であると伝わっている。 篠栗町域の東方の山麓地を主として随所に霊場がたたずんでおり、含まれる霊場は、割烹や土産物屋などが併設された大規模な寺院から、僧の姿もない小規模な観音堂、時に小規模でありながら複数の旅館に囲まれるもの、また市街の傍に位置するものから、山道の果てに埋もれたるものまで、その在様については様々である。各箇場には納経所とされる場とともに固有の印が置かれており、持参の紙などへの押印によって来訪の物的記録を得ることが可能となっている。 50を超える旅館が界隈に存在していた往時に比べれば衰退したともいえるが、今にあっても界隈を中心に30を超える旅館が存在している。本元の四国八十八箇所と比較すれば県内においてすら知名度は薄いといえるが、知る人々からは豊富な自然とともにある静かな巡礼道として親しまれている。
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第四十一番礼所、平原観音堂 |
第四十三番礼所、明石寺 |
第七十八番礼所、山手阿弥陀堂 |
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