地は九州北部。福岡県の中央部に位置する太宰府(だざいふ)市である。古代都市たる大宰府の遺物を数多く抱えるこの地の一角に戒壇院(かいだんいん)と呼ばれる寺院はある。戒壇院は往時の大宰府都市域の最中とされる場にある禅宗の寺院である。筑紫戒壇院(ちくし-)と呼ばれることもある。古くは観世音寺の一部としてあり、中央戒壇(奈良東大寺)と東戒壇(下野薬師寺)に対して、西戒壇とも呼ばれた。時は奈良時代、天平宝字五年(761年)に聖武天皇の勅願をもって観世音寺に設置された戒壇院をその起源とする。開山は鑑真。観世音寺の境内の西南部の一角に設置され、以降西海道唯一の戒壇として興隆を続けるも、中世に至って衰退を重ね、寛文年間(西暦1661年から1672年)の再興を経て、元禄16年(1703年)に観世音寺から独立。延宝八年(1680年)の本堂の再建を経たままに今の姿に至っている。現在は同県福岡市博多区の禅寺たる聖福寺の末寺として存在、今に遺る旧跡として、太宰府天満宮などとともにこの地の名所のひとつとして在る。
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