瓦田地禄神社

瓦田地禄神社の表鳥居の額束 地は九州北方―福岡の地の南東部の一画を占める大野城(おおのじょう)市。この地を流れる牛頸(うしくび)川は、市域の南方の外れに位置する牛頸山麓にある牛頸ダムより北向きに発し、途中春日(かすが)市を通り湾曲しながら再び大野城市域に入り、やがて御笠(みかさ)川の流れと合流したのちに内海の海原博多湾へと注ぎゆく、御笠川水系の支流たる二級河川である。

大野城市の街区のひとつである瓦田(かわらだ)なる地区はこの川の下流域にあり、この川を跨いで五丁目までの区域で成され、川沿いの一画を占めている。

さて、斯様なる牛頸川と太宰府市域から流れる御笠(みかさ)川との合流地点を擁するこの瓦田街区。その内の牛頸川の東岸の一角にささやかな社領を有する神社がある。

地禄神社(じろく-、ちろく-)である。

祭神
  • 埴安命(はにやすのみこと)
  • 埴安姫命(はにやすひめのみこと)

正確な縁起は定かではないという。

所在は福岡県大野城市瓦田3丁目2番。わずか近場に大野城市立大野小学校などがある。
瓦田地禄神社の入口 瓦田地禄神社の拝殿 瓦田地禄神社拝殿左手の石碑
入口 拝殿 拝殿左の碑

瓦田地禄神社の奥鳥居
〔案内板の記述 -瓦田地禄神社縁起-〕
鎮座の初めは詳らかでない。宝永六年(西暦1709年)に編纂された『筑前国続風土記』をはじめ、江戸時代の地誌には『うど』という所に地禄天神社あり下の宮という産神の旧宮なりとある。『うど』とは現在の瓦田公民館の東側の地である。古老はここに旧宮があったと伝え『元宮』様と呼んでいる。『本殿内にある御神座の裏面に元禄二年(西暦1689年)二月吉日福岡本町万細工師(よろずざいくし)四郎兵衛神直し』の墨書銘がある。また一対の幣帛立ての祭具には『宝永二乙酉(西暦1705年)『清明吉日氏子中』と刻まれている。神格―祭神・埴安命と埴安姫は、日本創世神話の中で伊那那岐(いななぎ)伊邪那美(いざなみ)の二柱の神から土の神として生まれた方である。江戸時代の地誌類には『地禄三郎天神社』或いは『地禄天神社』と記録されているように、『天神』または『田神(でんしん)』と呼ばれていたのであろうが、明治以降は『地禄神社』と稱するようになった。地禄とは大地から与えられる幸であり土地を富ませるの意味である。農耕社会と密接に結びついた土と水の神として祀られた神社である』...

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