境内中部、拝殿手前の左手にある小堂。内部に『菩薩堂(ぼさつどう)』と書かれた額が掛かっている。境内由緒書には記載がないが、牛頸郷土史発行委員会の編纂書『牛頸郷土史』に、この堂についての次のような説明がある。 『境内中段の左側に木造瓦葺きの菩薩堂(ぼさつどう)があり、観世音菩薩(かんぜおんぼさつ)と地蔵菩薩(じぞうぼさつ)が安置されている。ここは牛頸七ケ寺の一つである「大立寺(だいりゅうじ)」の廃寺跡である。平野神社周辺の地名は「小字平野」であったが、通称は「大立寺」と呼ばれていた。現在は牛頸三丁目である。 九州歴史資料館の八尋和泉氏の鑑定によれば、観世音菩薩は前頭部と後頭部の半分及び胴部の前部と後部の残穴(ざんけつ)は、平安時代(1150年代頃)の作であるが、保存状態が悪く膝部(ひざぶ)から下は腐食してしまい、台座は江戸時代に補作されたものである。また、地蔵菩薩像も桧材で平安時代の作と思われるが、その後目・鼻は手を加えられ、膝部と台座は室町時代ごろに補作されたものと思われるとのことであった。 ここ平野神社が神仏混淆(しんぶつこんこう)の神社として、平安時代には既に建立されていたであろうことを示す貴重な仏像である。』... |