境内左手奥の隅にある、休憩所も兼ねた絵馬堂。中には、『屋島扇の的』(1843年)、『三国志』(1891年)、『神功皇后海戦』(1843年)、『劉備、三顧の礼をつくして孔明を迎える』(1890年)、『信州、川中島の戦い』(1893年)、2枚の西南戦争図(1877年)、など、天保から明治の代の制作とされる10枚の絵馬が掛かっている。 この地に名のある史家赤司岩雄(あかしいわお)の言によれば、現在、大野城市内で絵馬堂を有する神社は平野神社のみであるという。 手前の下段にある碑は『藤井家祖先の碑』である。この碑は、この碑が石井久氏による神社の総改築を機会に補修されたものであること、そしてこの碑が石井久氏の祖先である藤井家に報恩の誠を捧げるものであることを伝えている。石井久(いしいひさし)氏とは、この地出身の実業家、江戸橋証券の創業者にして、立花証券株式会社の会長を務めた人物である。碑文の締めには『平成三年五月吉日 平野神社氏子中』との署名。 脇には奥宮への入口がある。 |