宮口の右手、『大樟』の更に右側にある石塔。この碑は社の歴史と近年になされた改築の旨を伝えている。 『天智天皇筑紫の地に防人を置き水城山城を築きて遠い国の治となし給う。これより三百年後の正暦年中平安京外護の神平野神社の神霊を筑紫鎮護の神に勧請し大宰府を臨むこの地に鎮祭す。後掘河院の貞応元年寇祓の祈祷当神社にて挙行され、社領百余町歩を勅賜さる。この神社鎮祭より今茲に神恩千歳の節期を迎へ当氏子会にて千年祭の創建を考想のところ神慮によりてか当地出身の立花証券会長石井久氏の高志に接し斯くて社殿総改築大業成就となる』... 平成二年十二月吉日―平野神社―壱千年記念祭碑―大野城市長、古賀典、書... |