地は九州北方、福岡県(ふくおか-)。その県都たる福岡市域の西南にあたる、早良(さわら)街区の更に南方、周囲を山々に囲まれて広がる狭い平野の一角である。 今でこそ街道も整備されているが、古くこの地を治めた筑前国(ちくぜんのくに)の区割からすればまさしく辺鄙といえる場所。脇山(わきやま)との名を持つその区域は更に幾つかの小区域に分けられ、それぞれ大字(おおあざ)と1から2までの丁区で今に表されている。 そのうちのひとつ、ちょうど1丁目にあたる区域に、荒平山(あらひら-)を背後に仰ぐ谷(たに)と呼ばれる集落はあり、その奥部の一角にわずかな社領とともに鎮座するのがこの日吉神社(ひよし-)である。宮口に立つ鳥居、拝殿、庚申塔に、何らかの旨の刻まれた小石塔、市の保存樹であるというシイの木、150年の樹齢をもつとも推定されるカシの木などが境内に、だがそのどこにも由緒書などは見られず、外から訪れた者には何を祀っているのかは詳らかとはならない。 ただカシの木について設けられた説明板にて、わずかながらの社の歴史の断片が垣間見られるのみである。そこには次のようなことが記されている。『明治6年(1873年)6月福岡県下で起った筑前竹槍一揆の際、このむらは焼き打ちにあい全焼した。その時の火災でこのかしの木も黒焦げになったが辛うじて生き残り自来今日までむらの姿を見守り続けてきた。しかし、その幹にはその当時の傷跡が深い溝となって残っている。 ―谷部落史研究会』...
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