山王日吉神社

山王日吉神社の拝殿  地は九州北部、福岡(ふくおか)。その県都福岡市(ふくおか-)の中でも随一の知名度を誇るであろう博多(はかた)、そしてこの名が冠された街区が同市の南東部に広がる博多区である。

 そのうちの小街区のひとつに、山王(さんのう)と呼ばれる街区がある。『博多の町』のほど近く南に位置するこの街区は、博多区の中で、一丁目から二丁目までの区画をもつ小市街地で、石堂(いしどう)川とも呼ばれる二級河川である御笠(みかさ)川の流れを東脇に湛えて存在している。

 というような山王街区、その一丁目の一角にあって、周囲の町の歴史的な産土神(うぶすながみ)、この小街区名の由来でもあるのが、遠く畿内の比叡山(ひえい-)に座する日吉大社(ひよし-)より勧請されたものと伝わる、日吉神社である。
山王日吉神社の社名塔
宮口の左手に立つ石塔『日吉神社』
  • 祭神
  •  大山咋神(おおやまくいのかみ)
  •  大己貴大神(おおなむちのおおかみ)
  •  大物主神(おおものぬしのかみ)
山王日吉神社の一ノ鳥居
宮口と一ノ鳥居

 鎮座の始期は不詳。三神を祀るこの神社は、野球場や多目的広場とともに市により後に造成された公園、すなわち福岡市立山王公園の敷地の中に存在し、山王緑地保全地区とされる雑木を鎮守の森としており、その社領には社殿のほかに稲荷神社(山王稲荷神社)などを擁し、五穀豊穣、開運、鬼門除け、家内安全、安産の神などとして、時に『山王様』とも呼ばれるという。

山王日吉神社の二ノ鳥居
元禄10年(西暦1697年)の銘のある二ノ鳥居
古書に見られる山王日吉神社
 江戸期の儒学・本草学者たる貝原益軒(かいばらえきけん)の編纂による名のある史書『筑前国続風土記(ちくぜんのくにしょくふどき)』の『―巻之六目録 那珂郡 下』の項において、この神社についての記述が『山王権現社(さんのうごんげん-)』として次のように現れる。

比叡村にあり。比叡山の山王を勧請せし故に、村の名も比叡と名づく。社は村の南に松林の高き岡に有。此村に六甲畠とて、三町許の瓜圃あり。瓜を植ふるによろしと云、又此村にむかしより鬼火有て夜見ゆ。此村より出て四方一里餘飛廻る。四時時々見ゆ。遠く見れば、其大さ續松の火の如し、近村ば、らうそくの火のごとし、其色青白なり。或は二となり三となり、ならびとぶ。いと近くよりてみれば水精の如くにして、火にはあらず。』...

 比叡村とはすなわち、この神社の鎮座地たる山王一丁目の北西にたたずむ小街区、すなわち現在の比恵町(ひえ-)のことであろう。

山王日吉神社の二ノ鳥居の左柱 山王日吉神社の二ノ鳥居の右柱 山王日吉神社の山王稲荷神社
二ノ鳥居左柱 二ノ鳥居右柱 山王稲荷神社


所在は福岡県福岡市博多区山王一丁目、山王公園内。筑紫通りの『山王1丁目』交差点のわずか北東。近場に市立博多体育館、博多市民センターなどがある。

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