福岡県(ふくおか-)のほど中央部の一画にそのわずかな市域を有する春日市(かすが-)。白水大池(しろうず-)、時に白水池とも称されるこの池は、市内の中緯度西域にあって、名のある古文書『筑前国続風土記(ちくぜんのくにしょくふどき)』にもその名を現す大きな堤である。 数多の溜池が点在するこの市にあって、同県粕屋町(かすや)の駕与丁池(かよいちょう-)および同県直方市(のうがた-)の感田池(かんだ-)とともに『筑前三大大池』とも呼ばれるがごとくに、この白水大池は並み居る溜池のうちでも特異な規模を有する溜池である。 歴史
武末氏は、須玖村、上白水村(かみしろうず-、現在の上白水街区)、下白水村(しもしろうず-、現在の下白水街区)の村民にこれを呼び掛け、その協力を得たうえで、それまでの白水池の堤防の嵩上げ工事を行った。この造成の完了が寛文4年(西暦1664年)のこと、もって白水池は筑前国(ちくぜんのくに)で第一といわれる大溜池となったのであった。 造成後は協力三ヶ村の共用池となり、近代開闢ののち、補強や改修や公園化によって現在の姿に至っている。なお、嵩上げ以前の白水池については、築造年などの一切が不明であるという。須玖村は大池の所在地からほど近く北の方角の地点に現在須玖街区としてある区域である。この村の庄屋を務め、そしてこの大池の興りを生んだ武末氏は、東方の春日村のところに鎮座する春日神社の宮前寺―月光山―長円寺の過去帳にその名を遺している。
『筑前国続風土記』に見られる白水大池
『上白水村にあり。塘の中廣く岐(また)多し。岐のおく長し。昔は此塘の下に大池とて此塘はほどなる大塘あり。今は田となれり。其の田四町あり。此塘は初は小塘なりしを、旱魃(かんばつ)に備へんため、寛文の始土手を高くして大塘とせり。水面はるかにして目も及ばぬほどの大塘なり。塘の土堤の根はり三十六間、水の深さ数間あり。國中にては此塘と宗像郡勝浦(かつら)の塘、鞍手郡植木の池、怡土郡井原の塘などすぐれたる大塘なり。又宗像郡千鳥池、粕屋郡鹿府(ししぶ)の池も大池なり。』...
白水大池公園
池の周囲は特にその東側を中心に公園として整備され、また池の縁に沿って周回の遊歩道が通されている。池自体を含むこれら一帯を総称して『白水大池公園』といい、東方の県営春日公園とともに春日市の名所として名高い。豊富な水の流れる『噴水広場』、『多目的広場』、アスレチックなどの遊具が設けられた『ちびっこ広場』、池の西側と遠方の町々を一望しうる展望台が置かれた『展望台広場』などがあわせて、緑豊かなこの公園を形作っている。
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