国指定史跡『須玖岡本遺跡(すぐおかもと-)』の出土品に数えられる『王墓の上石(おうぼ-うわいし)』は、奴国の丘歴史公園のちょうど中央部に横たわっている。 出土の時は明治時代、明治32年(西暦1899年)、家を建設しようとした地元民の手によって対象地の地中から甕棺(かめかん)が発見され、その内外から次のようなものが出土した。
- 中国鏡:30面前後
- ガラス壁(宝器)
- 銅剣(どうけん)
- 銅矛(どうほこ)
- 銅戈(どうか)
- ガラス勾玉(-まがたま)
- 管玉(くだたま)
そして、これらと甕棺の上に置かれていたのが、長さ3.3m、幅1.8mのこの大石であった。 発見された甕棺墓(かめかんぼ)は他の墓から離れた場所に築造されており、ことのほか手厚く埋葬されていたことから、奴国王の墓であるものと推定されるに至った。年代的には、後漢(ごかん、西暦25年-220年)の光武帝(こうぶてい)から金印(広く知られる志賀島出土の金印)を賜った王より数世代前の王のものであると推定されているという。 出土後、移設を経て現所在地に保存されている。
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