九州北方、福岡県(ふくおか-)の、ほど中央部の内陸にわずかな市域を有する春日市(かすが-)。 その種数多の弥生時代(やよい-)の遺跡の出土で知られるこの市は、ところどころで大野城市(おおのじょう-)と接し、北から西にかけて県都福岡市と接し、西から南にかけて那珂川町(なかがわ-)と接するが、市名の由来は市域のほど東方にある春日神社に由来している。 この歴史ある宮が鎮座するのは、古くに春日村とされた場所、今の春日街区である。市域の西の辺境の町 春日街区から西へ西へと進むと、小倉村(こくら-)、須玖村(すぐ-)、上白水村(かみしろうず-)、といった旧村域の数々を過ぎ、やがて市域の西の果てにいたり、下白水(しもしろうず-)という街区に入る。すなわち、古くは『下白水村』という村落であったところである。
- 古書に見られる『下白水村』
- 筑前国続風土記附録:『産神ハ上白水村八幡宮也。村の北の方より入口に篠竹の茂りたる下に清泉湧出する所あり。白水の井といふ。石をたゝめり。此井によりて村の名とせり。』...
- 筑前国続風土記拾遺:『民居は本村 土居 楠木 座頭谷 横宗〔穢多村也〕に在。又此村の内飛瀬(とばせ)といふ所に御旗組の者八軒あり。村の北の方篠竹の茂りたる中に清泉の湧出る所有。是を白水の井といふ。周りに石を疊めり。走(ハシリ)井と云も是なるへし。此泉の末ハ渓川をなし田畝に灑く。旱年にも水涸るゝことなし。是村の名の依て興る所なり。産神は上白水村八幡宮なり。』...
- ―ともに江戸期の儒学・本草学者貝原益軒(かいばらえっけん)の筆による。
ある廃寺 というような下白水村の内の西のほうに、かつて蓮華寺(れんげじ)という禅宗(ぜんしゅう)の寺があった。同じ時期に当地にあった乳峯寺(にゅうほうじ)の末寺であったというこの寺は、元和(げんな)の代(西暦1615-1624年)の中頃にあって、浄土真宗(じょうどしんしゅう)に改宗、ともない、寺号を変え、村内のわずかに西の場所に移転をした。この寺は浄運寺(じょううんじ)として当地に今もある。 そうして改宗、廃寺を経て生まれ変わった蓮華寺であったが、ちょうどその移転の際、この寺は去った場所の界隈に、廃寺の時までその脇侍(わきじ)であった2宇の堂を遺していった。1つが子安観音(こやす-)を拝する観音堂、もう1つが、薬師如来(やくしにょらい)を拝する薬師堂。 このうちの後者こそ、通称『一ノ谷薬師』としてこの地に今もある、『下白水薬師堂』である。
- 堂種:薬師堂(やくしどう)
- 本尊:薬師如来(やくしにょらい)
- 創建:元和5年(西暦1619年)以前
境内 正面を西に向けるその境内には、薬師如来の座像を安置する堂、その傍らに弘法大師(空海)を拝する大師堂、昭和(しょうわ)の初期に奉納されたものという十三仏、それと向かい合いに『お籠り堂』という建物がある。 裏手は高台まで続く土壁の崖。その更に裏手には寺田池という溜池が豊富な水を湛えている。
- 郷土史料に見られる『下白水の薬師堂』
- 『一ノ谷薬師は、寺田池の西側台地の下―白水台団地の中ほどにあります。境内には大樹が茂り、周辺の都市化の中にあって、静かなたたずまいの一角です。
| 『お籠り堂』 | 広場の中央に、寛政6年(1794)造立の石祠(寛政六甲寅三月吉日下白水若者中、の刻名あり)があり、像高54cmの見事な木造の薬師如来像が安置されています。傍らに弘法大師、また広場の左手には昭和8年奉納の十三仏が祀られています。 | 十三仏 | この一ノ谷薬師は、元和5年(1619)寺田池付近にあった現在の真宗本願寺派浄運寺の前身である禅宗蓮華寺が、下白水村古水に改宗移転の際、脇侍(わきじ)薬師如来をこの地に安置し、山林200坪を与え、浄運寺の支配下においたと伝えられるものです。 昔から眼病に霊験(れいげん)があるといわれ、10日もお詣りすれば癒るというので、「間十日(まどうか)」という地名があります。また昔はここには温泉が湧出していたが、二日市湯町の薬師様に借りた金の返済ができず、湯を質にして渡した、という説があるといいます。 毎年5月8日には、お籠り堂で、"お薬師さん籠り"の祭りがあります。この年61歳を迎えた男女は、酒一升ずつ、また寿司やまんじゅう等を持ちよって振舞うという習わしがあります。』...
- ―春日市教育委員会編『春日風土記』;筆:黒木康友
所在は福岡県春日市下白水南2丁目地内。最寄の電停は博多南駅(JR博多南線)。ほど近くに、白水保育園(西方)、春日西小学校(西方)、日拝塚古墳(西方)、横棟天神社(北西)、古水天神社(北西)などがある。
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