福岡県(ふくおか-)の県都福岡市(ふくおか-)の東方に隣接する志免(しめ)は、県域のほど中央部やや西方のところにあって、宇美町(うみ-)、粕屋町(かすや-)、篠栗町(ささぐり-)、新宮町(しんぐう-)、須恵町(すえ-)、久山町(ひさやま-)の六町とともに、同県の糟屋郡(かすや-)に属する町である。 この町は、田富(たどみ)、吉原(よしはら)、南里(みなみざと)、別府(べふ)、御手洗(みたらい)、そして志免(しめ)という、六つの村の合併によって村として、すなわち志免村として明治(めいじ)の中頃に発足し、それから時も下った昭和(しょうわ)のはじめ頃に町としての歴史を歩み始めた。 志免の一ヶ禅寺
現在のこの町の中心的な地区といえようところが、役場や町の公共施設が集中するところ、その名も志免中央(しめちゅうおう)という街区である。西方に宇美川(うみ-)の流れを湛えるこの地区から、南へ。すると、現在は『志免』という名の1丁目から4丁目までの街区が、志免中央の南に位置している。 開発の進む住宅街区、どこか古い面影を留める町。そこに一ヶ寺の禅(ぜん)の庵(いおり)がある。
歴史 開山の代や開基の僧についてはここに詳らかではないが、江戸期の儒学・本草学者として名のある貝原益軒(かいばらえきけん)の編纂による史書『筑前国続風土記(ちくぜんのくにしょくふどき)』にその名が現れることから、この書が完成した宝永六年―西暦のもとの1709年―より前からこの地にあったことがわかる。
伽藍 上掲の書に所在地として『堺田』という地名が現れているように、富好庵は通称を堺田といった地区のさなかに位置している。
この小山の裏手は県営住宅の―その名を松ヶ丘団地(まつがおか-)という―団地の広がる場所となっている。 高台の頂にたたずむ鐘楼とそのなかに下がる梵鐘は、この名もなき禅寺の本堂を見据え、境内を見据え、界隈を見据え、向こうに広がる志免の町々を、そこに静かに見下ろしている。
所在は福岡県糟屋郡志免町志免2丁目19番1号。ほど近くに、志免東公園(北東)、専能寺分院(北東)、桜町集会所(北方)、志免幼稚園(北西)、方ヶ島児童公園(北西)、粕屋教会(南西)、堺田公園(南西)、志免町立志免東小学校(南西)、志免東保育園(南西)などがある。 |