地は九州の北部、福岡県の春日市(かすが-)の一角に鎮座する春日神社(かすが-)は、天児屋根命(あめのこやねのみこと)、武甕槌命(たけみかづちのみこと)、経津主命(ふつぬしのみこと)、姫大神(ひめおおかみ)の四神を祀って祭神とする、同市の名称の由来でもある神社である。 その起源は古くこの地に中大兄皇子(なかのおおえのおうじ、皇太子時の天智帝)が天児屋根命を祀ったことに始まると伝えられる。四神を祀る神社としての春日神社の起源は藤原田麻呂(ふじわらのたまろ)が大宰大弐として大宰府にいた神護景雲二年(768年)にさかのぼる。藤原家の祖神たる天児屋根命がこの地に祀られていることを知った田麻呂が、自身の故郷である大和国春日の春日大社より武甕槌命、経津主命、姫大神の三柱を神籬に迎え祀って春日大明神として社殿を創建したものという。 太力雄命(たぢからおのみこと)および太玉命(ふとだまのみこと)を祭神とする末社たる若宮社を敷地内に抱え、宝永七年(1710年)に当時の領主たる黒田美作一利により奉納されたという鳥居が入口にたつ。最奥部たる社殿の裏手には博多の承天寺(じょうてんじ、臨済宗の寺院)の末寺であった大光寺の跡が遺され十三仏や絵馬などが安置され、境内に生える11本の樟(くす)は総称にて『春日の杜』と呼ばれ、県により昭和38年(1963年)の1月16日をもって天然記念物に指定されている。入口付近の石塔に示されている通り、近代社格制度下においての社格はこれを県社とした。周辺には、『上の地蔵』および『下の地蔵』、『三郎天神』に『九郎天神』、また地禄天神などといった、数々の史跡が存在(うち三郎天神と九郎天神および地禄天神は当社の末社)。社領の東脇(入口側)を南北に通る道を『春の社通り』といい、これを挟んだ東の一角には浄土真宗本願寺派の寺院たる月光山長円寺がその多宝塔をのぞかせている。 例祭は年に三回。この宮で行われる婿押し(むこおし)と呼ばれる年中行事は国指定の重要無形民俗文化財に列せられている。
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