福岡県春日市の『下の地蔵』

2006年7月29日
 九州北方、福岡県の中央部の一画を占める春日(かすが)市域の内の一角。同市の名称の由来でもある、地域一ノ宮春日神社のほど近く。神社の東を南北に走る、"春の社通り"と今に呼ばれる二車線の車道の西の道脇にぽつりと在るのが、春日市教育委員会の指定する周遊道"春日公園とお宮の道"に含まれる史跡のひとつたる『下(しも)の地蔵』である。

 地蔵菩薩(じぞうぼさつ)を本尊とするこの地蔵は、"いぼ取り地蔵"との別称を持つという。その名の通り、疣(いぼ)取りに効験のあるとされる地蔵で、願いが叶ったらその礼として川の丸石を年の数だけあげるのがならわしであるという。川とは近場を流れる牛頸川(うしくび-)のことであろうか。地蔵の傍にある川石でイボをこすると、そのイボがその石にうつるのであるという。次の一節は、この地の郷土史料のひとつに数えられる『春日風土記』(春日市教育委員会編)に現れる、この地蔵についての記述である。

昔は、このお地蔵さんにお参りする人が多く、村人がお礼にあげた川石や石臼で本体はかくれてしまい、その姿を見ることはできませんでした。そのために、人々は、お地蔵さんの姿を知らずに、うず高く積まれた川石の山に向かって手を合わせていたそうです。

それだけの高い石の山ですから、自分の石を高く投げ上げようとすると、当然すべり落ちてきて、また何度も投げ上げることになります。そういうところからでしょうか、このお地蔵さんは、別名「石投げ地蔵」とも呼ばれていました。

このお地蔵さんの本体発見のきっかけとなったのは、今から約五〇年程前の道路拡張工事でした。この時、石の山のすそがけずられたため、石の山がくずれ、その中から石祠と本体が現れたそうです。
』...

 また、この地蔵には、紹運地蔵(じょううん-)なる別名もあるという。紹運といえば、ほど近く、春日神社の向かいにある長円寺は、今の太宰府(だざいふ)市域内にあった岩屋城(いわや-)の主として島津軍に討たれた高橋紹運(たかはしじょううん)の追善供養、およびその以下戦没将士達の追善供養のために建立されたものと伝えられる寺院である。

 毎年8月24日は例祭日。

 近場に存在する『上の地蔵』とともに今も参り人が絶えぬとのことである。

所在は春日神社(福岡県春日市春日1丁目110番地)からわずか北。最寄のバス停留所は、春日市の運営するコミュニティバス『やよい』の『春日神社前』、または西鉄バスならば『春日』。ほど近くに地禄天神社などがある。


古跡|福岡県春日市|紀行道中写真館

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