地は九州北方。福岡県(ふくおか-)の内陸のほど中央部、古都として知られる太宰府(だざいふ)市域の北西の一角。 この地を湾曲して流れる二級河川たる御笠川(みかさがわ)の流れがほど近くに大野城市(おおのじょう-)との境界を据える水城(みずき)と呼ばれる街区の一丁目に差し掛かるとき、その川辺、東岸の小区画のうちに小さな宮が存在している。 鎮座するは老松神社(おいまつ-)。すなわち菅原道真(すがわらのみちざね)を祀る宮である。老松神社といえば、地禄神社(じろく、ちろく-)、宝満神社(ほうまん-)とともに、福岡の地の各地に見られる神社であるが、ことこの水城の老松神社は、大宰権帥(だざいのごんのそち)として九州に赴いた菅原道真の初のこの地(太宰府)への上陸地点であるという、数多の老松神社のうちでも特異な歴史背景を持つものと伝わる宮である。 界隈の産土神たることを思わせるそのささやかな境内には、鳥居と社殿のほかに、いくつかの小堂と猿田彦の石塔などがある。
〔由緒書の記述『老松神社由来』〕
『当社は水城村(水城区)の氏神として水城村中が先祖代々承け継ぎお守りしてきた神社であります。創建の由来は明らかではありませんが口伝によると菅原道真公が大宰権帥(だざいのごんのそち)として左遷され九州にお下りになった時博多より御笠川を船で上られここ水城の渡しに上陸されついで水城の関を通り国分の衣掛天神の所で汚れた旅衣を改められ大宰府にお入りになったと伝えられています。その水城の渡しの跡が当社社殿裏に残っています。なお太宰府天満宮の古文書観応三年(西暦1352年)二月の安楽寺(太宰府天満宮)領注進目録に「水城空閑」を記されておりこれ以前の時代にすでに水城の地が太宰府天満宮と深い関わりを持つようになったことが知られます。その縁によって菅原道真公ゆかりの老松神社が勧請されたとも考えられます。全国各地にも道真公を御祭神とする老松神社が鎮座しています。現在の本殿は石造慶応三年(西暦1867年)四月再建。拝殿は昭和四十七年(西暦1972年)十月再建されたものであります』...
所在は福岡県太宰府市水城1丁目20番。最寄の鉄道駅は西日本鉄道天神大牟田線下大利駅。手前を走る小道"水城橋通り"の西の先に御笠川に架かる『水城橋』が、境内東脇に老人憩いの家が、わずか南方に浄水場が、ほど近く北方に大野城市立下大利小学校が、南東ほど近くには国指定特別史跡の水城跡などがある。 |