地は九州北部―福岡県(ふくおか-)の大野城(おおのじょう)市域の北方の一角、わずか西方を二級河川たる御笠川(みかさ-)が流れる、筒井(つつい)とされる街区のさなか。その二丁目にあって、宅地に囲まれて密やかに在る遺跡がこの古井戸の遺構、"筒井の井戸"である。 福岡県指定有形民俗文化財(西暦1972年4月15日指定)。案内板によれば、江戸期の儒学・本草学者たる貝原益軒(かいばらえきけん)がその編纂書『筑前国続風土記(ちくぜんのくにしょくふどき)』に次のような内容のことを記しているという。 いわく、『雑餉隈(ざっしょのくま)より南に近き村なり。村中に筒井とて清水あり。木の筒を以って井韓(いげた)とす。此故に村の名をも筒井と云也。其水極て清冽にして、大旱といへども涸れす。常に筒の上に湧上る。只冬至の夜許(のみ)水出ずと云。』―『村の中に"筒井"という綺麗な水がある。木の筒を井戸の枠としている。それで村の名も筒井という。その水はとても綺麗で冷たく、たとえ日照りの時でも枯れない。常に筒の上に湧き上がっている。ただ冬至の夜だけは水が出ない。』...
この記録からわかるのは、江戸時代にはまだ木の筒の井戸であったということである。1971年に発掘調査が行われ、その際に現在の井筒の横で四角形の木枠が見つかっている。その木枠がすなわち江戸時代の井筒にあたるものとも見られている。 常に勢いよく出ていた湧水は昭和54年(西暦1979年)から55年の頃よりしだいに少なくなっていったと伝わる。現在の井筒は、花崗岩(かこうがん)を丸くくり抜いた直径115cmのもので、高さ約80cmの井筒が二段に積まれている。この井戸は『筒井』の地名(西暦2006年現在大野城市に一丁目から五丁目まで存在)の由来となっていること、井筒のつくりが見事であること、また数十年前まで地域の共同井戸として利用されてきたことなどから、大変貴重な民俗資料とされている。 今にあってもこの地には『冬至の日に筒井の井戸の水が湧き出なくなる』との言い伝えが残るという。所在は福岡県大野城市筒井2丁目7番1号。最寄の鉄道駅は西本鉄道天神大牟田線春日原駅(南西)。近場に、福岡県指定有形文化財を安置する雑餉隈町観音堂(西方)、雑餉隈恵比須神社(西方)、山田観音地蔵堂および浄土真宗の寺院慶傳寺および山田宝満神社(いずれも北西)、史跡御笠の森(北方)、日蓮宗の寺院妙教寺(南西)などがある。 |