地は九州北方、福岡(ふくおか)、春日(かすが)市域の中央を流れる二級河川牛頸川(うしくび-)の途中の川辺。 市を代表する鎮守の社である春日神社のほど近く北方に、その正面を東に向けて建つ小さな社が存在している。 社の名は地禄天神(じろくてんじん)。 ほど近くにある三郎天神や九郎天神とともに春日神社の末社のひとつで、埴安命(はにやすのみこと)を祀るものという。 川のせせらぎを目前に湛えて、古くに下居屋敷(しもいやしき)との字(あざ)で示された場所、今にいわれるところの春日二丁目の街区の一角に位置している。
| 右側貌 |
- 祭神
- 埴安命(地禄田神)
- ;日本神話にも現れる土、大地をつかさどるとされる神。
- 由来
- 創立の代は不詳。ただ、『地禄天神祭礼記』に、明治8年(1875年)に神祭が創られた、とある。また、江戸期に編纂された史書『筑前国続風土記(ちくぜんのくにしょくふどき)』にわずかながら記載があることから、明治より前の代から存在したことは明らかである。その『地禄天神祭礼記』にある記述は次のようなもの。
| 鳥居の額 | 『夫レ我地祿天神ト申奉ルハ、其古昔春日村ノ初メヨリ氏神タル春日大明神ノ末社ニシテ、農作物ヲ主(守)護セラレシ神ナリシガ、其徳多ク、其利益モ亦夥シク、此敬神者ニシテ未タ古ヨリ不作ノ兆ナカリシト云フ、抑モ此ノ祭日ニハ宝満宮ノ南ヨリ来リ祈念ヲ奏セシモ、明治八年改正ノ時ヨリ神祭ト為リ賜ヒ、年々陰暦十一月初丑ノ日ヲ以テ祭日トシ、我組ノ人民衆合シ、神前ニハ山海ノ珍物ヲ供ヘ、且ツ御神酒ヲ供ヘ奉リ、神官ノ祭文朗読アリ、共ニ五穀豊穰、天下泰平、万民安全ヲ祈リ、以テ此ノ区ノ永遠無窮ヲ願フヲ古例トス、然ルニ此ノ天神ノ宮ニハ古ヨリ前ノ原ト名クル処ニ凡ソ弐拾歩余ノ田地在リシガ、神祭費相償ハザルヲ以テ、今明治拾八年春中旬、別記ノ四拾壱名相計リ募金シ、当区民タル白水清五郎氏ノ所有田地七畝余ヲ買需メ、神田ニ献納シ、以テ永世ノ祭費ニ満タシメタリ、而シテ又毎年旧三月廿五日、六月廿五日ノ両日ニハ、臨時祭日ト為シ、毎戸主ヲ初メトシ、老若男女ノ別チ無ク、下男下婢ニ至ル迄テ此ノ天神宮ノ庭前ニ衆合シ、日籠ト称ヘ、神前ニハ神酒御供ヲ奉シ、共ニ行厨ヲ開キ、終日或ハ咄シ、或ハ歌ヒテ神意ヲ慰メ奉リ、且区民ノ万歳ヲ祈ヲ以テ古礼ト為ス焉』...
| 目前に牛頸川 |
- 境内
- ;白水善四郎宅地
- 社殿:横0.9m、入0.62m。昭和26年(1951年)に改築されて今の姿にいたる。
- 鳥居:1柱;新素材
- 灯籠:1対;新素材。都市美術研究所による昭和63年(1988年)6月の奉献。
- 手洗い石
- 立木
- 椿(つばき):3本;幹回り約1m、樹高約8〜9m。
- ヤマモガシ:3本;平均幹回り0.9m、樹高約10m。
- 梅:3本
- その他多数生育し、神苑を形成。
- 御供田(宮座田)
- 所在地:春日公園3丁目3番および4番
- 合計面積:753.52u
- 初めは、字前ノ原955番地の、20歩余りの田であった。明治18年(1885年)に、白水清五郎氏所有の字北口658番地ほのけ「クエ」の田七畝余りが購入され、計八畝余りとなった。昭和21年(1946年)に連合国アメリカ空軍宿舎用地として強制借り上げされたが、昭和47年(1972年)、アメリカ軍の撤退によって返還された。昭和53年(1978年)に県営御供田土地区画整理事業により、現在地に換地。
| 黄昏の刻の地禄天神 | "埴安命"を祀る『地禄神社』と呼ばれる神社は、この地禄天神社に限られるものではなく、福岡の地の各所に同名で存在するものである。
- 祭礼日
- 4月25日:春籠り
- 7月25日:夏籠り
- これら春・夏籠りとも、春日神社の宮司が祝詞(のりと)を奏上、當番座一同は参詣する。
- 12月5日:御座;旧暦11月初丑の日
- 直会
- 御座祭は当番座手造料理によって『区民会館』で正午から3時の間に行われる。春・夏籠りは各家庭手造の寿司等を折敷に盛り、季節の料理を持参し折敷を神殿に献ずる。従来は白水善四郎氏宅で直会に移っていたという。昭和50年代から折詰弁当に変えられ、会場も平成8年(1996年)から夏籠は『区老人憩の家』とされている。
川端にたたずむこの小さな天神社は、今にあっても宮座を開き、地の民の信仰を集めるという。
所在は福岡県春日市春日2丁目33番。ほど近く西方に下の地蔵などがある。
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