地は福岡(ふくおか-)。現福岡市博多区(はかた-)の北方の街区、今も通称にて『博多』と呼ばれる区域の東の外れに位置するところ。この地を太宰府市のほうから北に流れてやがて博多の湾に注ぐ、石堂(いしどう)川と呼ばれることもある歴史ある河川御笠(みかさ)川の東岸。西岸博多の街から川を東へ、ちょうど石堂大橋と名付けられた橋を渡って東岸の区域に入ってすぐに、南北に貫かれた国道3号の脇に広がるのが千代(ちよ)と呼ばれる街区である。 博多区の内にて1丁目から6丁目までがあるこの千代街区は、高層建の公営住宅の非常に多い場所である。千代の名のつくそれだけでも、市営千代住宅、市営博多千代住宅、市営千代東住宅、市営千代一丁目住宅、市営千代大学通住宅、市営千代パピヨン住宅、市営千代六丁目住宅などが挙げられ、そのほかにも千代街区の内のものでは、市営美和住宅、市営新博多住宅、市営千代田住宅などが挙げられ、いずれも巨大な風体をして街の各所にそびえている。 さて石堂地蔵尊とされる堂は、千代三丁目街区の西の一角、数ある市営住宅のうちの千代大学通住宅の南脇にたつ小堂である。その右手の市営住宅へといたる通路の付近には堂の由来についての札が置かれ、『苅萱石堂丸物語の発祥地』として次のような説明がなされている。『石堂地蔵尊の由来:今から八百十余年前、筑前博多の守護職加藤繁昌は、子がなかったので、香椎の宮に参籠し、神のお告げによって箱崎松原の西、博多の東、石堂川口の川の畔りの地蔵尊から丸く温い医師を頂いて、これを妻に与えると男児が生まれたので、石堂丸と名づけたが、これが後の苅萱道心加藤左衛門繁氏である。繁昌を尋ねて高野山に上ったその子も、父の幼名をついで石堂丸と名づけられたのであった。この石堂地蔵尊の霊験によって苅萱道心は誕生し、此処は実に苅萱石堂丸の国民的伝説の発祥の地である。―苅萱道心行状記による。』...
福岡県福岡市博多区千代3丁目6番。ほど近くに、浄土真宗の寺院松源寺、新博多地蔵尊、また濡衣塚などがある。 |