福岡県(ふくおか-)の県都、福岡市。その南部東方に一画を占める行政区、その南端の大部分で那珂川町(なかがわ-)と接し、東北端で同市博多区と接し、東南端を春日市(かすが-)と接し、比較的新興の住宅街と古いそれとの混在で成され在る行政区、それが南区(みなみ-)である。 この区の東部南端、間近に那珂川町と春日市との境界を擁し、また近場に那珂川の流れを湛える場所に、弥永(やなが)という街区が広がっている。 大字(おおあざ)の部分と1丁目から5丁目までの部分とで成される弥永街区は、南北に通るJR博多南線の高架を軸として、大規模な市営住宅団地として知られる弥永団地の広がる東側、そして那珂川の流れを間近に湛える西側の区画とで構成されている。このうち、西側―弥永1丁目の一角。脊振神社(せふり-)。この小さな神社は、歴史の上でこの国を代表する『海の神』とも云われる女神を祀り、古い町の面影を残してたたずむ住宅街区の一角にその社領を有している。
境内由緒書の記述 『古えより多岐都姫命ほか二女神(いわゆる宗像三女神)を奉祀してあった福岡県と佐賀県の県境に聳ゆる脊振山頂の神祠に、仏教伝来以後の今より1130年前にあたる貞観3年(西暦861年)に韓国(朝鮮)より渡来されたと伝えられ弁財天を神仏合祀されたという脊振神社下宮(佐賀県東脊振村大字田中)より坂井若狭(生年月日不明)が現在地の弥永に勧請し奉祀したと伝えられる。(筑前国続風土記拾遺) 現在当社に残されている文書によれば享保18年(1733年)旧暦9月15日に当時の宮座により祭典が行われた記録があるので、それ以前より奉祀されていたものであると考えられる。尚その当時の宮座の人々の数は17名という。』...
所在は福岡市南区弥永1丁目3-8。近場に春日神社などがある。 |