左の堂すなわち観音堂に対する、右の堂、地蔵堂(じぞうどう)。内には1体の地蔵石仏と自然石が安置されている。左手に置かれたその石には『日切地蔵尊』との刻字がある。かつては疣(いぼ)の治癒に効験があるとのことで『イボ地蔵』と呼ばれたものという。 この地に名のある史家赤司岩雄(あかしいわお)は、その著書『大野城市巡杖記』において、この堂のことを次のように説明している。 『日切地蔵を祀る地蔵堂は昭和43年(1968)8月に改築され日切地蔵と刻んだ石が新しく祀られている。改築前のお堂には明治38年(1905)10月8日建築の棟札があったが改築時に紛失している。明治の初め頃竹薮(たけやぶ)であった現在の地に埋もれていたものを、一老婆に夢のお告げがあって掘り出して祀り始めたという。昭和の前期頃まではイボ地蔵と呼ばれて、供えてある小石でイボをなでると治癒するといわれ、治った人々がお礼に奉納した小石が山をなしていた。 私が小学生の頃までは「おみくじ機械」まで設置されて多くの信者で賑わっていたが、今では医学の進歩と共にその存在も忘れられている。』... |