『此村の高き丘の上に大なる墓三十六あり。所々に散在す。是をあばけば其内は古墓なり。骸骨あり。何れの時人を葬りしにやしれず。』... 以上は、古書『筑前国続風土記(ちくぜんのくにしょくふどき)』内の項目"巻之六目録 那珂郡 下"に『小倉村』として現れる、福岡県(ふくおか-)の内陸の小市春日(かすが)のほど北方に位置する、現小倉(こくら)街区についての記述である。
その来歴を示すような事物は見られぬものの、堂に置かれた絵馬などの姿にそこそこの古さを見て取ることができる。堂は権現造り(ごんげん-)なる様式で、明治時代再建のものであるという。
史料に見られる『小倉薬師堂』 春日市を描いた郷土史料の一つ『春日風土記』のなかで、山田稔という執筆者は、この薬師堂のことを、『小倉のお薬師さま』として次のように説明している。『小倉区松尾ストア裏の旧道に接したところに、参拝の絶えない古い薬師堂があります。近郷の人は、小倉のお薬師さまと呼んでいます。お薬師さまのことは『筑前国続風土記拾遺』の小倉村の条に、「村内に薬院と言う地有て、薬師堂あり。薬院有し地ならん」と記録されています。 お堂は南を正面にした明治14年(1881)の再建です。よく見ると、立派な権現造りで独仏堂(薬師堂)としては、近郷一円で一番大きな建物です。権現造りは、神社に多く見られますが、お堂では大変珍しく、おそらく再建の棟梁が、江戸時代の神仏混淆の型式を残すために建てたのでしょう。当市では貴重な建物です。
薬師仏は、衆生の病根を救い、苦病を治す現世利益招来の仏として、古くから信仰されて、縁日は8日、18日、28日ないし晦日、地域によっては14日としますが、釈迦と結びつく8日とするのが一般的です。 また、薬師仏は眼病の仏として、あらゆる人に信仰され、眼病のもとや、ご利益をうけた同志が集まって講をつくりました。この薬師さまも、病気を治してくださる仏として有名で、今でも近郷一円に篤い信仰があります。 とくに目が悪くなったときは、仏の頭と目をさわり、半紙に性別または名前と、年齢の数の病名「め」と書いて堂内にはりつけ御願を立てます。治れば線香と水を供え拝みます。最近では、有名大学進学祈願が多いのも時代を反映した信仰でしょうか。 』... ほど近くに奴国の丘歴史公園を中心に広がる国指定史跡岡本(おかもと)遺跡、また伯玄社遺跡などの重要な遺跡を擁する地区にあって、堂は開発の波に呑まれゆく街路のさなかに今も静かにたたずんでいる。所在は福岡県春日市小倉2丁目60番。県道31号(福岡県道31号福岡筑紫野線)と県道56号(福岡県道56号福岡早良大野城線)との交差地点の南西方。ほど近くに浄土真宗の寺院光照寺、わずか南東地点に伯玄児童遊園、およびけしノ実児童遊園などがある。 |