地は福岡県(ふくおか-)、その内陸のほど中央部にある、春日市(かすが-)。 その内の、国指定史跡『須玖岡本遺跡』や市の管理による特別公園奴国の丘歴史公園などを擁する須玖(すぐ)・岡本(おかもと)地区のほど近く南方に、小倉(こくら)という街区がある。 伯玄社遺跡の出土した伯玄町(はくげん-)の北隣に位置し、県都福岡市との境界をほど間近に据え、薬師堂や観音堂、住吉神社などのある街区である。江戸期の儒学・本草学者貝原益軒(かいばらえっけん)は、名のある史書『筑前国続風土記(ちくぜんのくにしょくふどき)』において、この『小倉』のことを、 『此村の高き丘の上に大なる墓三十六あり。所々に散在す。是をあばけば其内は古墓なり。骸骨あり。何れの時人を葬りしにやしれず。』...と記し、枝村などもなき小村であると加えている。
浄土真宗本願寺派、名を光照寺(こうしょうじ)という。
山号『大芳山』、読みは"だいほうさん"あるいは"だいほうざん"といったところであろうか。いずれにしても大芳山と号すこの寺は、宗派浄土真宗にして、阿弥陀如来を本尊とし、一度の移設を経て現在の地に在るものという。
歴史 光照寺の歴史は、"郡島大城"なる人物が昭和9年(1934年)、福岡県福岡市博多区の相生町(あいおいちょう)に「西林寺」の出張所を開設したのに始まる。相生町は現所在地から1kmほど北方にあるところで、元町十日恵比須神社からほど近く北西の場所に位置する、市街地の色濃い町である。 昭和21年(西暦1946年)にいたって、本山の西本願寺より寺号が認可され開山。その後、昭和54年(1979年)の8月、現在地に移動した。伽藍 伽藍を成すは、本堂、庫裡(くり)、納骨堂。納骨堂は境内の南側に位置する丘の上に聳え立っているが、この丘は戦国時代(西暦1493年頃-1573年頃)の城砦『紀和城』のあった場所、つまりは城跡の比定地であるという。
所在は福岡県春日市小倉6-125。県道31号(福岡県道31号福岡筑紫野線)と県道56号(福岡県道56号福岡早良大野城線)とが交差する地点のわずか北西。北方至近に存在する小公園からその本堂を間近に眺めることができる。 |