『間口5m、奥行4mの瓦葺である。文政6年(1823)6月18日に改築した時の棟札があるが、僅か10年を経た天保4年(1833)3月28日に拝殿再建の棟札が棟木に打ちつけられている。これは慶傳寺の住職久保成章氏から私が聞いていたように、文政11年(1828)の子(ね)の年の大風による損害のためと考えられる。 こうして再建された拝殿は藁葺きであったため、数回葺き替えられたと思われるが、昭和37年(1962)の本殿並に拝殿改修の時に、本殿はトタン葺きに拝殿は瓦葺きになったのである。 』... ―『大野城市巡杖記』 赤司岩雄(あかしいわお) |