大南遺跡跡

2006年11月8日
読みは『おおみなみ』。大南遺跡跡なるこの標は、福岡県の内陸のほど中央部に位置する春日市(かすが-)、数多の遺跡特にその数膨大なる弥生時代の遺跡が出土するこの市のほど中緯度中経度、大部分が住宅街で形成される大谷(おおたに)という街区のさなかに存在する、弥生時代の遺跡『大南遺跡』の『跡』たることを示すものである。

小車道脇の歩道傍、賃貸住宅風の建物『ライトグリーン大谷』の駐車場の隅の一角に置かれた四角柱の標は、表面に『大南遺跡跡』との刻字を、右側面に『弥生時代後期の遺跡が出土した場所』との旨の刻字を、左側面に『この東側一帯で竪穴住居跡、V字溝、小銅鐸が出土した』との刻字を、それぞれ示している。

左側面の刻字が説明するところの『東側一帯』にあたる場所は現在小車道と宅地である。開発の波に呑まれる町のさなか。遺跡はそのうちに潰されたのであろうか。

わずか南の至近地には『大谷遺跡』が出土した場があり、その地点に置かれた案内板は大南遺跡についての次のような説明を示している。

大南遺跡は三方に突き出た小丘陵上に造られていました。1960年(昭和35年)県教育委員会の第1次調査に始まり、1977年(昭和52年)春日市教育委員会の調査まで7次にわたって発掘調査が行われました。丘陵の中段にV字溝をめぐらし、丘陵上には弥生時代中期(約1900〜2100年前)の円形住居跡8軒、後期(約1700〜1900年前)の方形・長方形住居跡94軒、2軒の住居跡が密集して発掘されました。東側丘陵は調査前に消滅しましたが、遺跡全体では弥生時代後期を中心とする200軒近くの住居跡が考えられます。他に貯蔵穴(ちょぞうけつ)、石棺墓(せっかんぼ)、奈良時代以降の掘立柱建物(ほったてばしら-)がありました。遺物は、銅鋤先(どうすきさき)、鉄製品、九州で初めての発見として話題になった小銅鐸(どうたく)などが出土しています。』...

以上。

所在は福岡県春日市大谷3丁目47。春日市立大谷小学校のわずか北であり、ほど近く北西に同市立春日小学校、北方に住吉神社や薬師堂、ほど近く西方に諸岡川の流れなどがある。


古跡|福岡県春日市|紀行道中写真館

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