慈雲山大光寺

2006年8月15日の姿、向こう側にそびえるのは市営馬出住宅
 読みは“だいこうじ”かあるいは“たいこうじ”か。

 福岡・県都福岡市の内の北東に位置する、御笠川の東岸に区画を占める「東区」の一角。県庁や県警察本部などなど県の中枢機関が集中する場に、「馬出」(まいだし)なる区域が広がっている。

 この区域の二丁目の一角に、「市営馬出住宅」という高層公営住宅、すなわち福岡市の運営による公営住宅のひとつがそびえてたつ場がある。その周囲には、この市営住宅を囲むように、あるいはこの市営住宅に囲まれるように、いくつかの寺が佇んでいる。そのひとつがこの寺、市営馬出住宅の南に所在する、浄土真宗本願寺派・大光寺である。山号、“慈雲山”。

 南東に向けて門を開き、ささやかな寺域をもってたつこの寺は、「大龍」なる僧の開基開山で、明治10年(1877年)建立の本堂を擁し、1994年の大修復を経て今の姿にいたるものという。

九州では珍しいという「仏足石」を保持
 この大光寺には、とある「仏足石」(ぶっそくせき)の片割れが納められているという。『筑前古寺巡歴』の著者天本孝志は、同書において、この「仏足石」を次のように説明している。

真言宗東長寺の子院本願院の中に、太田萬歳楼が六角堂(現在は東長寺に移築)を経営して六仏を奉安し、その側に自分の寿像を立て、残島石に萬歳楼が自書自刻して納めた仏足石が二つに割られて、左足が大光寺に、右足が太宰府天満宮に蔵されている。

 仏足石とは釈尊が入滅の際に残したという足形を、石面に刻んだもので、仏像の象徴として、これを拝む者は罪障が消滅するといって、印度には古くからこれを礼拝する風習があり、我国には百済から伝えられた天平勝宝5年(753年)の銘文のある、奈良薬師寺の仏足石が最古のものである。徳川時代仏教行事の通俗化とともに、仏足石信仰は盛になったが、九州では極めて稀で、この萬歳楼作の仏足石は嘉永4年の作であるから年代は若いが、九州仏教史上の珍しい資料である。”...

 太田萬歳楼の読みは“おおたばんざいろう”で、博多の町人であった人物。「東長寺」は、今の福岡県福岡市博多区にある、かの弘法大師(空海)が唐からの帰国後初めて開基したものと伝わる真言宗の寺である。大光寺の有するこの仏足石は黒色の自然石で、縦80cm、横60cm、厚さ3cmほどのものという。

所在は福岡県福岡市東区馬出2丁目11番28号。南隣に松月院、西隣には市立馬出保育園、更に西には称名寺があり、北の市営住宅の敷地内は翁別神社の鎮座する場ともなっている。


|福岡県福岡市|紀行道中写真館

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