観音堂の手前、鳥居の左脇にある、注連縄の巻かれた『猿田彦』との刻字のある石。碑高130cmにして、その建立年は不明という。 猿田彦(さるたひこ)―古事記(こじき)において、天孫降臨のときに猿田毘古神と名乗って、天孫たる邇邇藝命(ににぎのみこと)の道案内をした国津神。のちに衢(ちまた)の神、岐の神とされ、室町時代には道祖神(どうそじん)に擬せられ塞(さえ)の神とも習合した神。日本書紀にも登場する神である。 大野城市内においては、30基の猿田彦が確認されており、路傍の石碑のなかでは最も多いという。山田観音地蔵堂の所在地たる山田街区には3基の猿田彦が確認されており、そのうちのひとつがこの猿田彦。ほかの2基のうちで近くにあるものとしては、山田の氏神宝満神社の境内にある『猿田彦大神』が挙げられる。 |