豊川稲荷(とよかわいなり)の九州別院(きゅうしゅうべついん)―同時に最勝山(さいしょうざん)との山号とともに東慶院(とうけいいん)とも呼ばれるその神社、あるいは仏教寺院は、九州の北方は福岡県(ふくおか-)、そのほど中央部の内陸の地の一角にその域を有する春日市(かすが-)のまたほど中心どころの市街のさなかにその境内、あるいは伽藍を有して座す、あるいは鎮座する、神社と仏閣とが一体習合の状態にあって存在する社寺、いわゆる神宮寺(じんぐうじ)たる社寺である。 遠く東海三河(みかわ)に鎮座する豊川稲荷の分霊を祀る社としての性格と、曹洞宗(そうとう-)の禅寺(ぜん-)としての性格とをその境内に併せ持つ。
寺門たる入口を南東に向けて開くその境内には、本堂、稲荷の堂、納骨堂のほかに、立ちそびえる大日如来の石仏、5体の小石仏の収まる小屋、交通安全地蔵の祠、および何らかの人型座像などが存在している。豊川稲荷という、名のある社寺の別院でありながらも、その旨を詳細に説明する事物などは境内のどこにも置かれておらず、伽藍の門の左の柱にその名が示されるのみである。
歴史
その歴史は比較的に新しく、昭和(しょうわ)の初期に根を持つものと伝わる。現所在地である春日原(かすがばる)と呼ばれる区域は、開発などによって、大正(たいしょう)の時代から刻々と変容を続ける町になったという。斯様なる町の更なる発展を祈願し、昭和8年(西暦1933年)、時の地元の長老達の案にて、千葉県(ちば-)の佐倉町(さくら-)―現佐倉市―の曹洞宗の寺院たる東慶院と愛知の豊川稲荷とを勧請したものと伝えられている。往時には名物と呼ばれた桜並木と参道が存在していたものの、その後の再開発の波に呑まれたことで、往時の町の景色とともに、今には残らぬものとなった。
〔豊川稲荷別院〕
愛知県豊川市(とよかわ-)にある妙厳寺(みょうごんじ)、正式名"円福山豊川閣(えんぷくざんほうせんかく)"妙厳寺の通称である豊川稲荷は、京都(きょうと)の伏見稲荷大社(ふしみ-)および佐賀(さが)の祐徳稲荷神社(ゆうとく-)とあわせて"日本三大稲荷"とも俗称され、『稲荷寿司(いなりずし)』の発祥地とされる町を門前に擁する、曹洞宗の禅寺の宮である。この豊川稲荷は、北海道(ほっかい-)、東京都(とうきょう-)、神奈川県(かながわ-)、静岡県(しずおか-)、大阪府(おおさか-)、そして福岡県という、六の地域に別院を有している。このうちのひとつである福岡県のそれがすなわち、九州別院との異称を持つところの本社寺、東慶院である。
所在は福岡県春日市春日原北町1丁目10番。JR春日駅のわずか北東の地点、県道56号(福岡県道56号福岡早良大野城線)が陸橋『千歳大橋』を抜ける地点至近の西脇。 最寄の鉄道駅はJR春日駅または西鉄天神大牟田線春日原駅。最寄のバス停留所は西鉄バス『北町四丁目』(敷地手前)。 伽藍樹を眺めうる西方の場所に春日原北第2児童遊園が、ほど近くに原町遺跡、妙見白鬚稲荷大明神社、雑餉隈恵比須神社、県指定有形文化財たる仏像を安置する雑餉隈町観音堂、日蓮宗の小寺院たる妙教寺などがある。 |