堅粕延命地蔵尊

堅粕延命地蔵尊の正面象 福岡県(ふくおか-)の県都福岡市の内の北部東方に広がる博多(はかた)の町は、東に石堂川(いしどう-)の流れを据え、長い歴史の痕跡をその端々に数多垣間見せながら今にたたずんでいる。

 その博多の町から見て石堂川の対岸、すなわち東方の川向こうにあたる場所は、昔この地を治めた黒田氏(くろだ-)歴代の菩提寺としても知られる崇福寺(そうふくじ)や、県庁や県警察本部などの県行政の中枢施設、ある意味での『濡れ衣』という言葉の発祥点とも伝わる濡衣塚などがある町、千代(ちよ)。今には、博多の町の総鎮守たる櫛田神社(くしだ-)の例祭としての盛大な祭事"博多祗園山笠(-ぎおんやまがさ)"における、千代流(ちよながれ)で広く知られる、通称『千代町』。この千代町の内の最も南側にあたる区域が千代一丁目、他の区域と同様に、高層の公営住宅が目立って建ち並ぶ場所である。

堅粕延命地蔵尊の右側貌
高層市営住宅の入口付近に
 さてその千代一丁目から石堂川の流れに沿ってわずかに南下すると、JRと山陽新幹線の高架を据え見る、堅粕(かたかす)という街区に入ってゆく。千代町と同様に高層の公営住宅が多く建ち並び、また間近に石堂川の流れを湛える町。その内の二丁目。まさに川縁に位置する場所に聳える数棟の公営住宅群、『市営ニュー堅粕住宅』。福岡市が数多運営する市営住宅のうちのひとつであるこの住宅は、時にゆく人に威圧感を与えもするであろう高層の住棟の群立によって、この堅粕二丁目街区の一帯にわたって住宅団地を形成する。斯様。そのうちの西側川寄りのそれにあたる5号棟の敷地の中に、わずかな一画に境内を有して、ぽつりとたたずむ小さな堂がある。

堅粕延命地蔵尊の全貌
全貌
 『延命地蔵尊』―読みは"えんめい"であろう。

 堂は、団地のさなかの一住棟の入口にほど近くの場所にあって、数体の石仏(地蔵)を内に安置、ささやかな手水舎を擁している。

 由来を説明する事物はどこにも見られない。しかし、類似した公営住宅の敷地内にある地蔵堂という点から、千代町の新博多地蔵尊、および石堂地蔵尊などと似た性格の、地の物故者や戦没者などを慰霊するものと推測することもできる。

 時に傍を通り過ぎる団地の住民。そのうちに時折の参り人。堂は集合し暮らす人々の営みを脇に見据えながら静かに。
所在は福岡県福岡市博多区堅粕2丁目5番。目視可能なほどの近場にあたる同団地(市営ニュー堅粕住宅)の3号棟の敷地内に『清水天神社』と浄福寺跡が、ほど近く東方に琴姫大明神社堅粕小学校などがある。

|福岡県福岡市|紀行道中写真館

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